枕the草子

三日坊主になるだろうな

ゲーム

三人はポーカーを何度もやっているうちに、飽きないようにルールを少しずつ変えていった。どのようにルールを変えるとゲームが面白くなるのか何度も話し合った。そもそもゲームとは何か、何がゲームの面白さなのか。話は拡大していったが、そういう話をするのは楽しかった。ゲームそのものよりも楽しいのではないかと思った。

 

ゲームの王国(上)/小川哲 p171より

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今日読み始めた小説の一説である。

 

ゲーム、ゲームの楽しさって何なんですかね。

僕もゲームは好きだが、TVゲーム(テレビにつながないものも含む)に限った話ではない。ボードゲームや麻雀といったものはもちろん、スポーツもゲームだろうし、ルールの中で勝ち負けが決まるものは全てだろう。

 

「ルールの中で勝ち負けが決まる」……とりわけ、「ルール」ではないだろうか。まず枠組みがあり、そのなかで取れる手段のうち最善、と思われるものを尽くす。

一方で、その優劣の要因はそのゲームの中だけで完結しない。

嚙み砕くと、たとえばスポーツではその試合で勝つためには練習が大事で、より練習した方が有利になる(ことがかなり多い)。

まあ勝ちに近づくためにとる行動については今回置いておく。今日大事なのは、楽しめるかどうか、である。それも双方(全員)が。

 

 

仮に、僕と藤井竜王(今竜王だっけ?ほんとうにわからない、わからないので以下藤井ニキで)が何かの対決をするとしよう。

ここでその何かを将棋にしてしまうと、どうなるか。クソボロに僕が敗北するし、藤井ニキの得られるものは何もない。Lose-Loseである。

 

じゃあどうするか?1つはチョイスするゲームの変更である。将棋をチェスにかえれば、もう少し藤井ニキといい勝負をするかもしれない。オセロならさらにいい勝負になるだろう。または、ハンデの設定である。歩以外全部落としてもらうとか。

 

ここまで書いたが、上の2つは目的ではない。手段だ。大事なことなので繰り返すが、「楽しめるかどうか」が大事である。

 

 

藤井ニキ相手に何するのが正解か、については全くわからない(藤井ニキがあまりにも人間離れしているため)(じゃあ例に出すなよ)が、同じく人外である大谷ニキ相手に対する正解はあるかもしれない。

彼はワールドトリガーが好きらしく、僕も好きなのでもし対面したらその話をすれば少しは盛り上がるだろう。少なくともスポーツで対決するよりは。

 

 

この「楽しめるかどうか」を数値化して、それが最大化するように行動するのが僕の人生ゲームの命題で、じゃあどうすればいいかということなのだが、

繰り返しの囚人のジレンマ問題、に近いかもしれない。

 

囚人のジレンマ - Wikipedia

1194-7.pdf (kyoto-u.ac.jp)

 

詳しくはないので間違っていたら教えてほしいのだが、有限繰り返し(特に1回きりの場合)のときのナッシュ均衡、は相手を裏切って利己的に行動するのが最適だが、無限回の場合はしっぺ返し戦略(前回の相手行動をまねる)も有効である、といったものだ。

 

ここで現実問題に戻るとして、人と何かをするとき、またその人と会わないことよりも会うことの方が多いだろうし、そうではないにしても事象が独立であることは絶対にない。裏切り行動をとることはその後の悪評になるだろうし、そういった人があふれることは全体利益の損失になる。泥棒や殺人といったものは利己的な行動の最たるものだろうし、そういったナッシュ均衡にならないために法とシステムは存在する。(=公共の福祉)

 

言いたかったのは、法で裁かれなくても、利他的な行動をとる方が長期的に得ですよということ。お説教か?

 

自分がメチャクチャスマブラが好きで得意だったとして、初心者と遊ぶときにスマブラを提案するのはやめましょうよ、ということ。もちろんその中でも双方楽しめるやり方はあるかもしれないが。

 

ドンキーコングダービーの話はしていない。

 

 

結婚して夫の方が家事をしないのはおかしい、半分半分にすべきだ、みたいな論調についても、重要なのは利他的な行動が取れるか、ということだろう。お説教か?さすがにTwitterの論客みたいでこの話を続けるのは気が引けてきた。

 

僕はそこまで合理的な人間ではないので、もっとライブ感で生きている。利己的に生きている。が、自分の不利益にならない程度には本能的に利他的な行動を選択しているのだろう。ボードゲームカフェで一番好きなゲーム(複雑で敷居が高い)をハナから排除できている程度には。きょうそんなことを帰り道考えていた。

 

 

さっきライブ感という言葉を使ったが、小説が面白いか感じる要素にライブ感があり、なんて定義したらいいんだろうな、アドレナリンが出る表現が使われているか、がある気がする。

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それからは娼婦の尻が資本家で、ヴァギナが愚かな政治家たちだと想定して、自らの陰茎を革命的マシンガンとして激しく打ちつけた。資本主義を強姦するのは恐ろしいほどの快楽で、性行為の開始から一分後にはすでに精子が出そうになった。

射精の瞬間、彼は漠然とした幸福感に包まれ、生まれてはじめて薄汚いカンボジア政府や王族どもを許してもいい気分になった。娼婦の子宮を通じて、自分の陰から発射された精子たちが国家と接続しているのを感じたのだ。

しかしその他幸感は数秒ほどしか持続せず、三分後には初体験の娼婦ジャンヌに対し、退廃したブルジョワ主義の打倒と、真のプロレタリア革命の重要性を説いていた。

 

ゲームの王国(上)/小川哲 p124より

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最高か?

特に「革命的マシンガン」がバカすぎるし、こんな風俗客嫌すぎる。嫌すぎるがどこか質感を持っているし、それでいて荒唐無稽さを兼ね備えている。京王線の車内で読んでいて、声をあげて笑いそうになった。

 

 

ゲームの王国、カンボジアの話(どの時代かは、大体わかると思う)(カンボジアが語られるのはまずこの時代ポトねえ)で面白いので読んでください。同じくカンボジアの話がからむ、サンクチュアリって漫画も最高に面白いので読んでください。

 

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